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商品先物投資心得帳
商品先物取引の歴史
商品先物の歴史は16世紀にベルギーのアントワープから始まったと言われていますが、 日本におけるその歴史もかなり古いものであり、ここでは、日本における先物取引の歴史について勉強しましょう。
日本の商品先物取引の歴史
海外よりもいちはやく公設の先物市場があった

1620年代、大坂(現大阪)の堂島に淀屋米市場ができました。 100年後の1,730年代に、米将軍と呼ばれた徳川吉宗の命により大岡越前が世界に先駆けて米の先物市場(帳合米取引という)を整備したといわれています。

米市場ができるまでの経緯
1,730年代当時に日本における経済の基盤とされていたのは、「米」でした。年貢として米を納めるということを聞いたことがあると思いますが、まさに米は日本の経済そのものだったともいえます。特に近畿地方は大坂と京都を挟む大都市であり、町人や公家、僧侶など米の消費者が70万人もいました。ところが、人口に対して米が毎年60万石以上も不足していた上、当時は船で米を運ぶ上でも、大きな港のある大坂は米市場を作るうえで最適の地域だったのです。

大坂の米市場は、なくてはならない流通大市場に成長
1,730年代当時の日本では、年間の2,700万石程度の米の収穫があり、自家商品や年貢などで消費され、残りの500万石程度が市場に出回っていました。そのうちの約4割(200万石)が大坂だけで取引されていたといわれており、まさに米の大市場だったといえます。

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この200万石に目をつけたのは商人の淀屋で、米市を創設したのでした。現在の大阪の中之島にある淀屋橋は、この商人淀屋によって作られたものです。この橋の袂に淀屋米市があり、毎日大商いが行われ、当時はこの近辺に米を保管する蔵屋敷が100棟近くありました。

やがて大坂の米市場は、日本になくてはならない流通市場となっていったのです。

こうして、江戸時代から始まった先物取引は、収穫量によって農作物の値段が乱高下するのを防ぐために、収穫の前に「買う約束」を取りきめ、受け渡しを約束することで、生産者のリスクを低減させることを目的としていました。米将軍の異名を持つ徳川吉宗もこの制度を活用してデフレに対処しました。

現代においても、この制度は資本主義市場の中で定期的に生じる株式や証券の暴落に対してリスクを減らし、安定した収益を上げる点でよりいっそう高い評価を得ています。